とにかく元気を出すことだよ

レールから外れた人へ

LINE田端信太郎氏は今日もクソリプまみれ。アルファ発言からよみとく『弱者』と『強者』をつなげる文脈

田端信太郎はクソリプスカトロまにあ

 

LINEの田端信太郎さんは、クソリプスカトロまにあとして有名です。

 

 

このように、より多くのクソリプが集まりそうなDISりが得意で、

 

 

田端さんにとって、クソリプは酒の肴にすぎません。

 

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Facebookのクソリプは『軒先のウンコ』

 

クソリプはTwitterか、Facebookでその品質に大きな違いがあります。

実名SNSであるFBの「ぼくわかってるでしょ」的なクソリプは、『軒先のウンコ』だそうです。

 

ぼく自身ときどき田端さんや他のアルファツイッタラーにクソリプを垂れてしまう、クソリプラーの一人です。

やめよう、やめようと思っていますが、なかなかやめれず現在に至っています。
(しかも低品質です。 品質の判断はRTやリプ等の有無で判断しています(笑))

 

クソリプは嫉妬の可視化ではなく、社会の分断の可視化

はじめ、クソリプは嫉妬の可視化ではないかと感じていましたが、最近はそれより大きな社会の分断の可視化ではないかと感じるようになりました。

 

 

田端さんの福祉に対する発言は、強者()だからこそできる発言です。

 

勝ち組もまだまだ発展途上?

ぼくらの社会は好むと好まざるとにかかわらず、資本主義です。

そして、自由民主主義です。

 

今の社会の『強者』はそのロジックをよく理解しています。

だからこそ『自己責任』と『努力』の大切さを説くことが多いのです。

 

そして、多くのソーシャル強者が『努力』を説くことくらいしかやらないのは、高須克弥さんやビルゲイツさんのようなノブレス・オブリージュを行使できるほど、『勝っていない』のに一因があります。

 

つまり、クソリプラーにとっての『勝ち組』は、勝ち組本人にとってはまだまだ発展途上であり、努力をすすめることくらいしかできないのが実態です。

 

強者と弱者をつなげる文脈とは?

そんな強者と弱者をつなげるための文脈は、民主主義の正しい理解にあります。

 

「自分の面倒を自分で見れない人が、私にも人権があるのだから、お前ら私を助けろよ!」
といった態度は、本来民衆による自治を基本とする民主主義にはそぐいません。

 

今一生さんの講演会でクリアに言語化されましたが、
日本には、じぶんたちの力で社会をより生きやすくしていい自由があります。

他人任せの態度は、民衆の力の否定であり、民衆の代理人にすぎないはずの政治家に依存してしまった姿です。

 

障害・学歴・職歴・病歴のあるなしにかかわらず、
ぼくらは力を合わせて、じぶんの価値をみつけて、
仕事をつくりだしていい権利があります。

 

 

ぼくは介護経験がある人間として、今、多額の納税ができている人は、強奪されていると考えてほしくはありません。

じぶんの努力や周囲の協力で得られた能力のおかげで、より広く日本を豊かにしていると考えてもよいのではないかと思っています。

 

しかし、社会の暗黙の決めつけに負け、障害・学歴・職歴・病歴を原因に、元気をなくして、下を向いて生きていくのはどうももったいないと感じます。

 

アルファツイッタラーの強者発言の真意とは?

 

踏み上げ太郎こと、広瀬隆雄さんもこのように言っています。

 

田端さんに限らず、多くのアルファツイッタラーの強者発言は、なぜか勝手に弱者だと思い込んでしまった未来の強者へのエールです。

いえ。弱者と強者にわけることには意味がありません。

ぼくらにはじぶんの人生をより生きやすくする自由があるのですから。

 

田端セレクトで学ぼう

最後に、努力するときに役立つ、最近の田端セレクトを紹介しておきます。

田端さんは「ああ」は言いますが、紹介しているものは本物ばかりです。

ぜひ手に取って、アルファツイッタラーを打ち倒せる知恵を得ましょう。