とにかく元気を出すことだよ

レールから外れた人へ

ぼくとパー子さんの話。ある介護現場での一幕。

 

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高齢者医療中心の病院での介護の仕事は、3か月間続けてやめることにしました。
(最終的に4か月間、働きました)

 

 

ぼくが介護をはじめた理由

ぼくが介護をはじめた理由の一つは、人の死について知りたかったからです。

これは誰にも言ってませんし、理解されにくい理由だと思っています。

 

27歳にもなって、ぼくの身内で亡くなったのはひとりだけです。

ほかの家族はみんな元気で、友だちもみんな元気。

誰一人亡くなっていませんし、亡くなっていてもぼくは知りません。

 

そんなことがあって、ぼくの中で人の死に対する疑問が大きく膨らんできていました。

伝わりがたい感覚かもしれませんが、ぼくは『人の死』に近づきたいと思いました。

 

もし大切な人がこの世界からいなくなっても、あまり傷つかないように。

 

ぼくは保険をかけない人生選択をしがちですが、変なところで保険をかけた人生洗濯をしています。

今回は、ぼくが介護現場で出会って、とても深く印象に残っているパー子(仮名)さんとの話を書きます。

 

パー子さんとの出会い

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ぼくが、パー子さんと出会ったのは、風呂場へ運ぶためのストレッチャーの上でした。

 

介護士として、現場で働きはじめたばかりのぼくは、「運び」と呼ばれる歩けなくなった患者さんを風呂場までストレッチャーに乗せて(ふたりの介護士で患者さんを持ち上げます)、運ぶ仕事をしていました。

 

90歳代の患者さんがごろごろいる職場で、パー子さんは特別に若かったです。

 

運びでは、風呂場まで連れて行ったあと、患者さんの洋服を脱がして全裸にする必要があります。しかし、パー子さんは特別に若かったため、ぼくは一瞬躊躇してしまいました。

 

え?脱がすんですよね・・・?

 

もちろん、パー子さんもすでに70代の高齢者で、性的な感情は一切ありませんでしたが(念のため)、高齢者の服を脱がせるというより、女性の服を脱がせるという回路に一瞬入ってしまい、戸惑ってしまいました。

 

風呂場では機械浴を行います。

台座の上に患者さんを乗せると、浴槽が機械式に持ち上がる仕掛けです。

そこで数分間の入浴を楽しんだ後、再びストレッチャーに乗せ、身体を拭き、服を着せることになっています。

 

パー子さんはほう髪です。

他の介護士は手を抜きがちでしたが、ぼくは丁寧に髪を乾かすことにこだわりました。

常に時短しようとせっついてくるペアの介護士の目をうまく誤魔化して、できるだけ時間をかけて髪を乾かし切ろうと努力しました。

 

パー子さんをお風呂に入れる日々

入浴は週に2回。月曜と木曜です。

何度目かの入浴を経て、ぼくとパー子さんは少しずつ話すようになりました。

 

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「お兄さん、いつもありがとうね」

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「いえいえ」

「お風呂に入れて、気持ちいいよ」

「よかったです」

「そろそろ(お風呂に)連れて行ってもらおうかな」

「わかりました」

 

すべてのサービス業に共通していることですが、いくら経営者側が一定のサービスを目指そうとしても、サービスは一定になりません。

 

特に介護のような個人間のサービスにおいてはその傾向は顕著で、にっこり笑う方や、ありがとうと言う方には自然といいサービスをしたいと思いますが、逆もしかりです。

 

女はいくつになっても、キレイだと言われたいものよ

ある日の入浴。今日はいつもより調子がいいのか、パー子さんは少し恥ずかしそうでした。

体調の良さが自意識を強くして、裸を見られるのが恥ずかしいみたいな、そんな感じでした。

 

そして、少し自虐的に「もうおばあさんね」と言いながら、ぼくに視線を向けました。

ぼくはどう答えていいかわからず、躊躇してしまいましたが「パー子さんはキレイですよ」と返していました。

 

「女はいくつになっても、キレイだと言われたいものよ」

 

そう言うパー子さんはとっても嬉しそうでした。

ぼくはパー子さんに病院で、気持ちよく過ごしてもらいたいという思いを強くしました。

にっこりと微笑み合いました。

ありがとうと言い合いました。

 

パー子さんの死

しかし、他の患者さんと比べても若く、生命力があるはずのパー子さんの容体は、じょじょに悪くなっていきました。

途中、回復しているように感じられたときがあったにもかかわらず、想像以上に急変してしまいました。

 

パー子さんの表情がくもり、全身がかきこわされていきました(かきすぎで肌がボロボロになっていきました)。

髪はぼさぼさで、顔もむくんでいきました。

ADL(日常生活動作)がどんどんできなくなり、低下していきました。

酸素マスクをつけられました。

 

ぼくはまだ夜勤に入ったことがありません。

パー子さんは真夜中に、あの世へ旅立ってしまいました。

 

ぼくが働いている病院では毎朝、申し送りという情報共有を行っています。

申し送りの情報は、申し送りノートに記載されて、自分が働いていない日程、時間帯の出来事を知ることができます。

そこにパー子さんの名前と、「ENT」とだけ記してありました。

 

ENTとは病院を退院したという意味で使われる業界用語です。

 

その程度の意味しかないので、患者さんが生きているのか、亡くなってしまったのか、確認しなければ知ることができません。(介護士にとって患者さんの死は日常茶飯事なので特別話したりしません)

 

ぼくが、パー子さんが死んだという事実に気がつくには数日間かかりました。

さらに、実際に亡くなったことが記載してある書類を見たのはもっと後でした。

 

死についてわかったこと

ぼくが介護士をはじめてから、亡くなったのはパー子さんだけではありません。

お世話をさせてもらった方でもすでに5名以上があの世へ旅立ってしまっています。

ぼくが働いている職場は高齢者医療中心で、看取りも行うからです。

 

パー子さんがいなくなって、少し落ち込みました。

少し寂しさを感じました。

少し悲しくなりました。

 

しかし、「少し」だけです。

結局、人の死に近づいても、ぼくは少ししか死についてわかりませんでした。